慈しみ
みなさん、こんにちは。
今日は気温がぐっと下がって少し肌寒く感じます。
お元気ですか?
今日は、読んだ本の中から一部を抜粋させていただきますね。
どうぞ、気が向いたら、ぜひ読んでみてください。
「『金・地位・名誉・権力などと、人生の真の目的を調和させるにはどうしたらいいか?』
ということですが、これはとても簡単です。
『道具のために仕事をするのではなく、仕事を上手にこなすために道具を使いなさい』ということです。
金があるならば、地位、名誉などがあるならば、なぜそれをすべての生命の幸福のために、平和のために使わないのでしょうか?
なぜ、苦しんでいる人の苦しみを和らげるために、窮地に陥っている人に手を差し伸べるために、
金や権力などを使わないのでしょうか?
弱い人に勝って、その人の財産を奪って、自慢できるのでしょうか?
世界人類の過半数を貧困に陥るようにして、ひとにぎりの人々がつぶされて死ぬほど財産を蓄えるのは、
かっこいいことでしょうか?
要するに、まったく目の見えない人々の前で、絵画を見せびらかして、自慢しているようなものなのです。
『愛、慈しみ』こそが、ものに価値を作るのです。
慈しみがない場合は、財産などはたんなる地球の土なのです。
助けてあげなくてはいけない人がいる時に限って、金に価値があるのです。
病人がいるならば、薬に、医者に価値があるのと一緒です。
生命の役に立つか否かというポイントによって、金、地位、名誉などに価値があるか、ただの土にすぎないかが決まるのです。
金などの道具に支配されると、人は欲、怒り、憎しみ、嫉妬、悩み、悲しみという原動力に頼らなくてはいけなくなります。
逆に金などは、みな仲良く平和で幸福に生きるための道具にすぎないのだと思うと、
その人の生き方は「愛・慈しみ」に支配されるのです。
欲・怒り・憎しみ・嫉妬・悩み・悲しみに居場所がなくなるのです。
金・地位・名誉・権力は生きるために必要な道具だと理解してその通りに生きる人が、生きる真の目的と、世俗的な物事を見事に調和させているのです。
世間にどっぷりと入り込んで生きることは正しくない。世間が恐ろしい悪魔だと思って逃げることも正しくない。
私が元気で頑張って生きることで、みなの役に立つならば、それこそ調和に達した生き方なのです。
慈しみを生きる原動力にしてみましょう。」
「いまここに生きる智慧 シスターが長老に聞きたかったこと」
アルボムッレ・スマナサーラ
鈴木秀子