清浄 -シャウチャ-
最近、「差別と区別」の違いについて、よく考えます。
改めて、ヨーガや原始仏教における「心的浄化法」を書いてみたくなりました。
「慈悲喜捨」
第一段階: 慈 メッター(友情)
すべての生命に友情を広げること。
上下関係や主従関係ではなく、お互いに相手の権利を認め合う心を持つ。生命すべてに対して。
第二段階: 悲 カルナー(抜苦)
苦しんでいる人をなんとかして助けてあげたいという気持ち。
生命は平等だが、決して均等ではない。
肉体も、生きている環境も違うし、どうふんばっても同じにはならない。
なかには「欲しいもの」どころではなく「必要なもの」も、なかなか揃わない生命もいる。(衣食住・家族・健康・正しい智慧etc‥)
自分のできることで助けてあげること。
生命の生き方はそれぞれだから、それを理解すること。
第三段階: 喜 ムディター(喜び)
幸福な人々を見て「あぁ、とてもよかった」と思う気持ち。
他人の喜びを自分の喜びのように持ってくること。
幸福な生命に対して、嫉妬したり、対抗心を燃やしたり、自己嫌悪に陥ったり、ケチをつけたりすることで自分をいじめることなく、共に幸せを感じること。自分のことのように喜ぶこと。
第四段階: 捨 ウペッカー(平等)
メッターの場合、生命の観察が細やかではありません。
カルナーの場合は、苦しんでいる生命しか対象になりません。
ムディターの場合は、幸福な生命しか対象になりません。
そこで四番目に、苦しんでいる生命だろうが、喜んでいる生命だろうが、そのどちらでもない生命だろうが、一切の生命を平等な気持ちで見て、
「不幸な生命もいて、幸福な生命もいて、不幸でも幸福でもない生命もいて、それぞれが自分の生き方で頑張っているのだ」と平等な心をつくること。