山尾三省さん
日が少し過ぎてしまいましたが、8月28日は屋久島の詩人、山尾三省さんの命日でした。
私が6年間を過ごした屋久島を出たのは、その年の11月だったので、もう亡くなられてから13年が経ちます。
三省さんが、まだ、ご存命だった頃、三省さんが訳された「ラマナ・マハルシの教え」と、おおえまさのりさんが訳された「南インドの瞑想」を三省さんからお借りしました。
お礼のお手紙を添えて本をお返ししたところ、思いがけずお返事を頂きました。
そのお返事の中に、
「‥ぼくにとっては、今ではインドも沖縄も屋久島も同じようになり、ラーマクリシュナもラマナマハルシも親鸞も道元も同じようになってきているからです。」
という文章があり、三省さんの広くて深い世界観を感じました。
~三省さんの遺言~
子供達への遺言・妻への遺言
山尾三省
ぼくは父母から遺言状らしいものをもらったことがないので、ここにこういう形で、子供達と妻に向けてそれが書けるということが、大変うれしいのです。
というのは、ぼくの現状は末期がんで、何かの奇跡が起こらない限りは、2、3か月の内に確実にこの世を去っていくことになっているからです。
そのような立場から、子供達および妻、つまり自分の最も愛する者達への最後のメッセージを送るということになると、それは同時に自分の人生を締めくくることでもありますから、大変身が引き締まります。
まず第一の遺言は、ぼくの生まれ故郷の東京・神田川の水を、もう一度飲める水に再生したい、ということです。
神田川といえば、JRお茶の水駅下を流れるあのどぶ川ですが、あの川の水がもう一度飲める水に再生された時には、却初に未来が戻り、文明が再生の希望をつかんだ時であると思います。
これはむろんぼくの個人的な願いですが、やがて東京に出て行くやも知れぬ子供達には、父の遺言としてしっかり覚えておいてほしいと思います。
第二の遺言は、とても平凡なことですが、やはりこの世から原発および同様のエネルギー出力装置をすっかり取り外してほしいということです。自分達の手で作った手におえる発電装置で、すべての電力がまかなえることが、これからの現実的な幸福の第一条件であると、ぼくは考えるからです。
遺言の第三は、この頃のぼくが、一種の呪文のようにして、心の中で唱えているものです。
その呪文は次のようなものです。
南無浄瑠璃光・われら人の内なる薬師如来。
われらの日本国憲法の第九条をして、世界のすべての国々の憲法第九条に組み込ませ給え。武力と戦争の永久放棄をして、すべての国々のすべての人々の暮らしの基礎となさしめ給え。
以上三つの遺言は、特別に妻にあてられたものでなくても、子供達にあてられたものでなくてもよいと思われるかもしれませんが、そんなことは決してありません。
ぼくが世界を愛すれば愛するほど、それは直接的には妻を愛し、子供達を愛することなのですから、その願い(遺言)は、どこまでも深く、強く彼女達、彼ら達に伝えずにはおれないのです。
つまり自分の本当の願いを伝えるということは、自分は本当にあなた達を愛しているよ、と伝えることでもあるのですね。
死が近づくに従って、どんどんはっきりしてきていることですが、ぼくは本当にあなた達を愛し、世界を愛しています。けれども、だからと言って、この三つの遺言にあなた方が責任を感じることも、負担を感じる必要もありません。
あなた達はあなた達のやり方で世界を愛すればよいのです。
市民運動も悪くはないけど、もっともっと豊かな”個人運動”があることを、ぼく達は知っているよね。その個人運動のひとつの形として、ぼくは死んでいくわけですから。
私は、たった6年間の短い期間ですが、屋久島で生活しているとき、三省さんの「生きること=静かな祈りの実践」という個人運動をしっかりとこの目で見させていただきました。
それは、屋久島を出て月日が経てば経つほどに、光栄なことであり、確かな教えだったのだと実感します。