ブッダの教えはアーユルヴェーダ・いのちの科学
中野ZEROホールで毎月行われているスリランカ人の坊さま、
アルボムッレ・スマナサーラ長老のお話を聞きに行ってきました。
スマナサーラ長老の話はとても論理的。
深遠な霊性を基盤、土台に持っている坊さまの口から出てくる内容は、
私たちのように普通に生活している人々が理解でき、すぐに実践できることばかりです。
今日のお話は、
「私たちの生命を支える4つの栄養(アーハーラ)」についてでした。
その中から、そのままの内容を少しまとめて書いてみます。
1 食べ物
・肉体を構成する機能に合わせて決めなくてはならない。
・肉体を維持することを考えて食べる(部品交換)。
・食べ物のせいではなく、その食べ物を選んだ時の感情で決まる(心に起こる欲、嫉妬、怒り、悲しみ、憎しみ、傲慢などの感情によって※存在欲が暴れ、その時に選ぶ食べ物はどんなに体にいいと言われているものでも毒になる)。
・一日に必要な量を理解する(人それぞれ違う)
・決して満腹にならない程度に食べる
・食べ物は他の生命なので必ず慈しみの気持ちで食べる
・身体は儚いもの、常に壊れゆくこと、維持管理することは大変であることなどに気づきながら食べる
※存在欲とは命が危うい状態にならない限り意識しない感情。
自分の命を守ることに限る。他の生命を守ることは管轄外。
2 触
「眼・耳・鼻・舌・身・意」に「色・声・香・味・触・法」が触れることが「触」。
生きているとは認識機能が働いていること。
触れて感じる機能を失ったら直ちに生命は死ぬ。
感覚が鈍くなることでも生命は危機を感じる。
認識することで貪・瞋・痴(むさぼり・怒り・おろかさ)も生まれる。
3 意志
何かをしたいとこころに起こる衝動のこと。
身口意で行為したいと思う衝動。これはこころに常にある。ない瞬間は決してない。この衝動があるからこそ生命は生きている。
意志の制御
・貪・瞋・痴に気づく
・意志は清らかか汚れているかを区別する
・呼吸する、食べる、など自然におこる意志と、仕事をする、話す、遊ぶ、などの意図的に行為する時の意志と二種類ある
「業」とは意志のことである。業は命をつくって維持管理するエネルギーであり、善の意志と悪の意志がある
「意志という栄養素を貪・瞋・痴によって汚染しないように気づきましょう」
「善行為して生きることに励みましょう」
4 識
認識しない瞬間はないが、認識する以前のこころは「識」という。
物体が生命になるのは識が働いているから。
識によって存在欲が暴れることはないので管理する必要はない。
識は純粋な水のようなもの。それ自体は悪さをしない。
しかし、水はそこに溶けるものによって栄養になったり毒になったりする。
色・声・香・味・触・法が触れて認識が起こるとき、貪・瞋・痴で汚染しないようにする。
※「渇愛」がこの4つの栄養素の原因。
これら4つの栄養素は渇愛によって生まれる。
渇愛から発生する。
※渇愛とは、再成(再生)し続け、喜びと愛着をともない、いつでも心の気に入るという3つの特色を持ち、五官を刺激したい、存在したい、壊したいという3種類の欲から成り立っている
輪廻転生の栄養素になるのは「識」。
これら4つの栄養素を汚染しないようにしましょう。
とのことでした。
あらためて、
ブッダの教えは生命の科学、
アーユルヴェーダそのものなんだなと実感しました。
そして、本来の坊さまの役割りはとても重要なんだなとしみじみ…