花と青空の話
認識の拡大と主客の融合
認識が拡大する。それによって心は広く、大きくなる。
大我は、自我をはなれたが、その中に自我を含んでいる。
自我は一度壊れたが、結局何一つ失ったものはなかった。
大我が生まれ始めると、自我はより確かなものとなり、「生きること自体の制限」の中で、その制限を楽しむようになる。制限は苦しみの源であったが、楽しみの源でもある。
時間の流れが変わる。
流れている時間と、止まっている時間とができた。
今まで通りに流れている時間、追い立てられたり、焦って追いかけている時間は変わらない。一方に、変わらずにとどまっている新しい時間がある。
その二つを生きている。
心の中の動かない価値に気づくと、同じものを他人の中にも見るようになる。外観や社会的な活動とは別に、その人の持っている深い「心」が見えると、同じ価値を共有しているのが分かる。
人に親しみがわく。
花を見ている。
見ているのは私の「自我」である。
花は私によって見られている。
じっと花を見ている私と見られている花を見ているのは「大我」である。
こうして、私は花を見ているし、私は花に見られている。
花を通して、私は私を見ている。
青い空を見上げる。
私が空を見ている。
すーっと吸い込まれていくような青い空。
私と空の間にはなにもない。
青い空につつまれている私。
私を包んでいる青い空。
二つは同じものである。
大我に支えられた確かな自我の感覚、それをいつも感じてこの世界とつながっていることは、この上なく幸福なことなのだ。
「心をはなれて、人はよみがえる -カウンセリングの深遠-」高橋和巳 著より